映画「アウシュビッツ行 最終列車」の感想 |
ユダヤ系ドイツ人虐殺はナチの数限りない犯罪の中でも最も陰惨な犯罪の一つである。ポーランドやロシア、ユーゴスラビア、あるいは旧オーストリア領のチェコやハンガリーのユダヤ人にとってすらナチスは外国の占領軍に映っただろう。戦時の民間人虐殺は昔から付き物である。一方ユダヤ系ドイツ人にとってドイツは祖国であり、アーリア系国民は同胞であるはずであった。しかし実際には祖国と信じていた国は犯罪国家であり、同胞と信じていた人々は殺人者及びその支援者達だったのである。
1943年4月19日最後まで残ったユダヤ系ベルリン市民688名がアウシュヴィッツへ移送されるべく駅へかき集められる。4月19日、総統アドルフ・ヒトラーの誕生日の前日なのだ。移送指令者は宣伝省大臣・ベルリン大管区指導者(ガウライター)ゲッベルス博士及び軍需相シュペーア教授である。
一発目からシュペーアの先制パンチを出してくるあたりなかなか憎い映画だろう。ナチス高官の中では比較的まともな人間として描かれることの多いこの男は、実際には軍需物資増産のためにどんな施設であるかを恐らく完全に知りながらアウシュヴィッツ拡張を支持した真っ黒な犯罪者である。(彼の軍需工場の被収容者の多くが「労働を介する消耗死」によって殺害された)またゲルマニア都市計画責任者として、ベルリンにおけるユダヤ人追放にも責任がある。単純な狂信者のゲッベルスよりもタチが悪い。彼の回顧録を読んだが、自分の都合の悪い事象は綺麗ごとを並べて口をつぐむ狡猾な偽善者の作文以外の何物でもなかった。
「ついにベルリンはユーデンラインになりました!」といったゲッベルスとシュペーアの報告は、金やダイヤモンドあるいは戦線の勝利などよりも遥かに素晴らしいヒトラーへの誕生日プレゼントであっただろう。ヒトラーにとっての最高の歓びは、ユダヤ系ベルリン市民688名にとっては地獄であった。
夜中、「夜と霧」のようにユダヤ人達がゲシュタポによって住み慣れた自宅から追い立てられる。公職から排除され、徴兵されることすら許されず、配給食糧で生きる彼らはナチの目から見てまさに「民族共同体の寄生虫」である。ゲシュタポは悪辣そのもの。1943年といえばすでに敗戦はドイツ国内ですら確実視されており、出てくるゲシュタポや親衛隊看守は皆絶望した犯罪者丸出しでである。
集められたユダヤ人たちは定番の家畜用貨車にぶち込まれる。駅では「車内で水と食料が提供されます」などと嘘のプロパガンダ放送が流れていたが、実際は100人用貨車一台あたり排泄用バケツと水のバケツが一つあるのみ。以降ただひたすら貨車内のシーンが最後まで続く。
上品な身なりのユダヤ人たちは、換気もない家畜用貨車で見る見る汚らしくなってゆく。道中に起きる虐殺と飲料水不足で精神的にも崩壊してゆく。ちょくちょく挿入されるベルリン時代の回想と貨車内の惨状の落差にぞっとさせられる。環境の変化で多分誰もが簡単にああなってしまうのだろう。私自身駅のホームレスを見て彼らと今の自分との境界など大して遠くないと思う。
犯罪者はドイツ人の親衛隊員やゲシュタポだけではない。ユダヤ憎悪をぶつくさ言いながら鉄道を運転するのはチェコ人運転士、移送の道中で訳の分からない理由でユダヤ人市民を虐殺するのはウクライナ人志願兵達である。当時反ユダヤ主義は程度の差こそあれ欧米世界全般を汚染しており、ナチはこれら全ての国で親ナチ分子なり共犯者を見出すことができた。
人間のリアルな醜さを延々と見せつけられるこの映画で最もおぞましいシーンは遂に渇きに耐え切れなくなったユダヤ人たちが身に着けている貴金属を駅員にばらまき、代わりに駅員が水を貨車にぶちまける場面である。今まで貨車内の苦しむ人々に全く無関心であった駅員達が豹変し狂喜して貴金属に群がる。一方貨車内の人々はぶちまけられた水を動物のようにすする。腐った世界では人間は腐ったやり方でしか生き残ることができない。
そんなこんなでようやくたどり着いたアウシュヴィッツ。2人床に穴を開けて脱走した以外は、すでに死んだか、半ば精神崩壊したベルリン市民が詰められた貨車の扉が開く。発狂した元歌手が歌ったのはベートーベン作曲シラー作詞の交響曲第9番「歓喜の歌」であった。ドイツ音楽を代表するこの曲こそアウシュヴィッツにはふさわしい。このシーンを考えた人は天才である。ユダヤ系元歌手も、半笑いで歌を聞いた後元歌手を撃ち殺したアーリア系親衛隊員も同じドイツ人だったのである。
一方逃走に成功した少女が暗唱したのは「聞け イスラエル」。狂った祖国との決別と明日の希望を示している。
エンディングのシークレットも見どころがある。殆どのシーンが家畜用貨車内という低予算映画なのだが、それでもまだ制作予算が足りなかったらしい。予算を埋めた協賛企業とは自動車の「BMW」と電子機器の「ジーメンス」・・・・・どちらもナチス強制収容所で被収容者を殺しまくって利益を上げた元犯罪企業である。BMWに至ってはいまだにゲッベルスの親戚一族が経営権を掌握している。
無論こんな映画に協賛しても会社として完全に逆宣伝な訳だが、時々反省している所を見せないと色々な筋から叩かれるのだろう。 軍需相シュペーアの名前がわざわざ初っ端登場する事情も透けて見えるではないか。
ナチス・ドイツの狂気を余すことなく凝縮した傑作。おすすめ。