映画「キャタピラー」の感想 |
大衆リンチまがいの先天性四肢切断障害者不倫糾弾騒動で話題となった低予算映画。
最初に悪い点を述べさせていただくと、撮影技法がまるで素人。安っぽいテレビドラマのようである。服装考証も酷い。村長の国民服は生地が良すぎてインチキ臭く髪型が全くなっていない。思想性の強い国民服着用者であれば丸刈りあるいは刈上げ+ポマード以外の選択肢はありえない。役者としての気合がまるで感じられない。最悪なのが国防婦人会の襷で、戦後の人間しか書かない様なふざけた書体は小道具として中学生の学芸会レベルである。そもそも襷のかけ方からして左右逆。着物の右前襟に対して交差するのが正しい。出征の村人行進もあの時代特有の殺気立った統制みたいなものが完全に欠落しており、これを見た瞬間途中で見るのを止めようかと思った。恐らくこの映画が破綻しなかったのは主演女優の演技力と脚本の2点のみの功績による。
出だしは主人公の戦時強姦殺人シーンから始まる。戦時強姦犯罪と言えばスターリン・ソ連の赤軍が有名だが、我が国の皇軍の犯罪性もなかなかのものである。日中戦争帰還兵の連続強姦殺人犯、小平義雄は当時の帝国陸軍について次のように回想している。
「上海事変当時、太沽では強姦のちょっとすごいことをやりました。仲間4、5人で支那人の民家へ行って父親を縛りあげて、戸棚の中へ入れちまって、姑娘(クーニャン)を出せといって出させます。それから関係して真珠(女性器)を取ってきてしまうんです。強盗強姦は日本軍隊のつきものですよ。銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で刺して子供を出したりしました。私も5、6人はやっています。わしも相当残酷なことをしたもんです。」
このような無秩序な強姦殺人を抑制するために従軍慰安婦制度が必要だったのだろう。帝国陸軍官僚組織は個人的犯罪を緩和するために、人身売買を前提とするシステマチックな暴力的制度を構築したのである。恐らく根本的解決とは軍公認売春宿の設置などではなく、自国将兵に対する人道的待遇だったのだが。残虐な強姦で悪名高いソ連赤軍と日本軍はジュネーブ条約違反の降伏禁止規定すらあり、構成員に対する暴力が残忍な組織であったことで知られる。そして鬱屈し蓄積された憎悪と暴力は将校から下士官へ、兵へ、捕虜へ、慰安婦へ、民間人男性へ、女性へ、子供へ、病人へ、そして障害者へと、より弱者へと連鎖的にぶつけられるのである。
この映画の面白い所は戦争犯罪者が四肢を失って究極の弱者ともいえる重度身体障害者となり、村の軍神に祭り上げられ、しかしその介護は彼の妻一人へと完全丸投げされるプロットにある。村人達は馬鹿みたいに戦争犯罪者の障害者を崇めたてるだけで、基本的に何の手助けもしない。まともな近代国家では国家のために負傷した将兵は国家が責任をもって、宮殿のような国立もしくは王立廃兵院で余生を全うするのが通常である。しかし近代国家の概念が明治維新から今日にいたるまで150年以上経ても結局国民に浸透しなかった特殊アジア国家においては別である。生身の人間を神に祭り上げ、かつ国家の義務と公共の福祉は放棄される。これぞ我々日本人のいう「自己責任」という奴なのだろう。名誉の戦傷だか何だか知らんが、障害を負ったあいつが悪い、面倒は家族が勝手に見ろという訳である。
農民の妻は日々の労働に加えて、障害者になった夫の食事から入浴、排せつ、そして性処理に至るまで全てをたった一人で行わなくてはならない。妻は忍耐強く誠実で優しいステレオタイプな日本女性そのもの。
しかし清く正しい大和撫子の忍耐にも限界がある。彼女は大八車に「軍神様」をのせ晴天下の農地に夫を置く。愚かな村人たちは国家公認の神になった戦争犯罪者をまるで仏像のように拝むのである。村人の見世物にされた軍装の夫は灼熱の太陽の下、汗まみれになって耐える。妻の手の込んだストレス解消法、あるいは出征前暴力的であった夫への遅ればせながらの復讐なのである。
あるいは村人からの「軍神様」への贈り物であった、当時貴重な生卵を夫の顔へグシャリと叩きつける。これはより痛快なカタルシスである。夫への復讐であると同時に偽善的なムラ社会全体に対する密やかで冷たい復讐であった。
建前上村の「軍神様」とはいえ家の中では単なる要介護重度障害者に過ぎぬ夫は、自分が弱者、つまり戦争暴力の加害者から被害者の側に回ったことを真に思い知る日がやって来る。過度のストレスで殺気立った妻に逆レイプされるのである。妻の性的暴力に中国人女性を強姦殺害したかつての自分自身を見出した夫は勃起障害になってしまった。
手足も性的機能も失った夫は、ただ自分同様「現人神」として崇拝されている昭和天皇の肖像と、天皇が自分へ贈った軍事勲章-金鵄勲章、そして額装された自らの写真が掲載されたプロパガンダ記事の切り抜きを眺めるのみである。彼にとっての名誉と自己愛の象徴にして、悲劇と茶番の真の起源たりし3つの不吉な聖遺物を・・・・・
そして敗戦。戦争が終わったことに妻は歓喜の余り万歳三唱する。一方の夫は手足の自由を失い最後に残された「軍神様」としての名誉すら体制崩壊によって喪失する事を悟り、精神的に破産して入水自殺を遂げる。そして彼はそれ以外に一体何を成し得ただろうか?
ある国家と国民の退廃性は戦争に最もよく現れる。ロクでもない人間を神の如く崇める愚かな偶像崇拝、大衆に祭り上げられ見世物にされボロきれの如く捨てられる障害者、空気を恐れ自由な思考も正当な権利主張もできない卑劣な国民性、一家族へ問題と責任全てを押し付ける公共の福祉の概念の欠如、・・・・戦争の狂気に加えて、現代に通じる日本人の退廃性を余すことなく表現した佳作。
本作品で傑出した演技力を示した主演の寺島しのぶはベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞した。欠陥だらけの低予算映画としては異例の栄誉である。