映画「我が闘争 若き日のアドルフ・ヒトラー」の感想 |
ウィーン時代のヒトラーを描いたドイツ映画
パッケージからB級臭がぷんぷんしているが、外見に偽りなしというか中身も本当にどうしようもない出来である。
ヒトラーが頭のおかしい恩知らずなチンピラとして描かれている時点で完全にアウトである。その様な単なる犯罪分子の狂人にシュトライヒャークラスのぶっ壊れた男はともかくとして、ゲーリングやヒムラー、シュペーア、ハイドリッヒの様な中産階級出身の高学歴層、つまりナチの陰謀と犯罪に最も深く冷酷に執行した層からの狂信的支持を得られることはないだろう。
フォルカー・シュレンドルフ調の寓話っぽい感じも支離滅裂でうんざりである。
しかし早送りもせず全部見てしまった。ヒトラーが政治と芸術を学習し、思想の全てを身に付けたらしい20世紀初頭ウィーンの汚くて臭いスラムの表現が真に迫っていたからである。同じテーマで「アドルフの画集」という映画があって、これはそれなりにしっかりした脚本だと思うが、この映画に出てくる著名俳優たちが全員ドイツ系に見えない上に、空気感が全然ドイツ圏っぽくないのだ。どこか架空の街の架空の人達の劇に見える。一応オランダ系の監督がブダペストでロケしたらしいのだが・・・・
路地裏で聖書に偽装したエロ本を売るガリツィア ユダヤ人の口上とか、虚ろで冷酷で性的にも退廃した三つ編みの金髪碧眼少女、うら寂しいクレズマーのクラリネット、不潔で血にまみれた肉屋のエプロン、重厚豪壮だが冷たい石造の汚い小道・・・・こんな風景が撮れるのは多分ドイツ文化圏たりし旧ドイツ帝国領及び旧オーストリア=ハンガリー帝国領の継承国家の人々だけなのだろう。退廃していればいるほど、世界から見捨てられているが故にその土地の特色が出るのだ。例えばハリウッドとか香港の一流俳優に日本や朝鮮の100年前の乞食の役をやらせても全然しっくりいかないだろうが、現地の三流の俳優にやらせたらそれなりに様になるであろうことは容易に想像ができる。
ハリウッドのちゃんとした映画にない妙に印象が残るB級ドイツ映画。