映画「ヒトラー最後の代理人」の感想 |
アウシュヴィッツ強制労働絶滅収容所の所長が戦後ポーランドで戦犯取り調べを受ける映画。
この映画はまずヘスの自伝手記を読んでから見ると面白いと思う
この手記の講談社学術文庫版にはドイツの歴史学者のボロクソでねちっこい批判的解説が付いていて、ちょっとやりすぎな感じを受けるだろう。しかしこの様な人類史上稀にみる大量殺人者の、処刑前の自己憐憫的で歪んだ自己愛が秘められた手記の解説にはお似合いな感じがする。
この手記からヘスの教養の低さとイデオロギーの未消化、自分がいかなる行為を行っているかという分析能力の欠如が目立ち、近視眼的というのか、少し馬鹿であったことが判る。一方で実務能力と勤勉さには異様に長けていてこの辺りはヘスの最悪の共犯者たりし移送の手配担当官アイヒマンを髣髴とさせる。(アイヒマンも処刑前自伝を書いていたらしいが残念ながら非公開。あちらは思想的にはノンポリ、上官の命令でやらされたという主張で裁判中首尾一貫していて、ヘスのそれよりはいらいらせずに読める手記だったのかもしれない)
政治的殺人の廉で前科を持つ塹壕世代の古参党員、いい歳して兵士に対する幼稚な憧憬を抱く気色悪いロマンチストは、しかしマゾヒスティックなまでに総統の意志に対して忠実かつ勤勉で、「生産性」を追求する一面があった。まさに理想のナチ党員である(笑)
多分この男の最大の「成功」要因は取り扱いが面倒で致死時間もかかる従来一酸化炭素から成るエンジン排ガスを廃して、神経ガスの殺虫剤ツィクロン-Bを大量殺人の道具として最初に採用し、全面的に使用した点であろう。かつヨーロッパの中央に位置し鉄道網が完成され広大な面積を持つアウシュヴィッツは、東方辺境のラインハルト作戦三大絶滅収容所に代わって劣等人種絶滅政策の最大の拠点として君臨する・・・・
家族をアウシュヴィッツで殺害されたユダヤ系イギリス兵士にボコボコにリンチされた後(映画では描かれていない)、ポーランド政府に引き渡されたヘスは取調官に対して心を固く閉ざしている。しかし次第に心を開き、いかに生まれ育ったか、ナチ強制収容所の父、テオドール・アイケからいかなる思想教育を受けたか、自分がいかにアウシュヴィッツを創設したか、ツィクロン-Bの採用、絶滅収容所所長としての心境はどうであったかを取調官に告白していくという筋書き。特にあの有名なスローガン「労働すれば自由になれる」に関するやりとりの場面は圧巻である。
表面的には義務を真面目に遂行した「兵士」にみえる責任感の強い男が大量虐殺者になったのか、本当に納得いく演技演出が成されている。取調官も人間として部分的に共感してしまう面が重厚に表現される。
アウシュヴィッツの描写は無く、オープニングの不気味な現代アートとエンディングの貨車の走る音がそれを暗示させるのみである。
この映画がイスラエルとドイツの合作というのも興味深い。ヘスを冷静に人間として描くなど元被収容者の大半が生きていた時代のイスラエルではあり得ない映画である。
まあ実際には本気で本物の兵士になりたければ国防軍でも武装親衛隊でも前線志願すればよい話。
親衛隊司法官コンラート・モルゲンの捜査によればユダヤ系イタリア人被収容者女性、ノラ・マタリアーノ・ホディスを妊娠させた後に餓死させたがヒムラーによって揉み消された一件から、この男が自伝で口酸っぱく主張していた厳格な義務だの党と総統への絶対的忠誠だのいう言葉の重みも色褪せる。
ナチ・イデオロギーの金科玉条ともいうべき人種法=ニュルンベルク法の「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」によればユダヤ人とアーリア人との性交渉は人種を汚染するナチにとって最悪の重犯罪、人種汚辱(Rassenschande)であり、犯罪者がヘスの様な男性の場合最高刑は特別裁判所送致の上死刑である。
前述自伝の前書きの有名なことば
「その男もまた、心を持つ一人の人間だったということを。彼もまた悪人ではなかったということを。」
いやいや絶滅収容所所長のあなたがユダヤ人被収容者女性を性の慰み物にしてコンドームも使用せず妊娠させて殺すとか、男としても、人間としても、ナチとしてすらも十二分に最低最悪の極悪人ですって(笑)