映画「スターリングラード1943」(1993年版)の感想 |
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2020年 06月 16日
コロナ渦Youtubeで見入ってしまった戦争映画。(英語字幕で観ましたので記載に間違いがあるかもです) 同じ題名でジュード・ロウが出演したハリウッド映画があるが全くの別物である。このハリウッド映画に代表されるようなヒロイズムとか男の友情とか戦場のスリルとか苦い勝利の感傷とかを求める客層の作品ではない。あるいは戦争の悲惨さと平和の尊さを訴える反戦映画のようには見えなくはないが、ちょっとずれている。 あらすじは新任のドイツ国防軍貴族将校と彼の率いる小隊がスターリングラード戦へ投入され死亡する話である。登場人物は全員死亡。主人公に至っては戦死や戦病死ですらなく、全てに絶望しての拳銃自殺である。 この種の陰惨な暴力をテーマにした不吉な映画は映画黎明期、映画発祥国のフランスでも、最大の映画製作国のアメリカでもなく、20世紀初頭のドイツで出現し多数制作された。この辺りの沿革はジークフリート・クラカウアーの「カリガリからヒトラーへ」に詳しい。中でも映画史上に残る代表作は「嘆きの天使」(1930)である。ギムナジウム(日本の旧制高校に相当)の教授がいかがわしい踊り子に入れあげ、最後に踊り子を殺害してかつての教壇で死ぬという内容である。この作品の特徴は教授に降りかかる不幸と絶望の連続と人間を死に追いやる徹底的なサディズムであり、当時世界的な人気を博した。ヒトラーを予感させる不吉な流行はオーストリアの精神科医ジ-クムント・フロイトが提唱したトーテストリーブ(Todestrieb死の欲動)を想起させる。これは人類普遍的な概念ではないのかもしれないが、少なくともフロイトが生きた19世紀末-20世紀前半のドイツ圏では顕著な傾向であったのだろう。ヒトラー台頭によりユダヤ系を含む多くの映画人がハリウッドへ亡命。ドイツが産んだ感動ポルノならぬ死のポルノ映画の伝統はハリウッドへ移植された。今日ジェノサイド映画を含むこの種のハリウッド映画の大部分がドイツ系あるいはスラブ系の姓を名乗る中東欧ユダヤ系監督によって製作されている。 スターリングラードにおいてもこの死のポルノ映画の伝統が濃厚に感じられる点において、一般的な戦争映画とは一線を画している。 アフリカ戦線で戦功を挙げイタリアで休暇中のドイツ国防軍小隊に赴任したのはハンサムな新任の青年将校。苗字の前にフォンが付き、将校一族であるところから、軍人貴族であることが分かる。イギリスと異なり厳格な土地と爵位の長子相続制を採らないプロイセンでは領地が分散消失して軍人一家になる貴族が多かった。 階級は白縁尉官肩章星無しなので歩兵科少尉である。 スターリングラード戦へ投入された少尉は最初から最後までノブレスオブリージュに基づく時代遅れな言動と行動を貫徹している。下層階級出身の粗野な部下達に対し寛容さを示し、ロシア人の女性や子供に対して常に人道的、捕虜や市民への虐待に対して断固として上官に抗議する勇気を示す。帝政時代であれば模範的なエリート将校として評価されたのであろう。しかし彼が属していたのは狂信的な人種イデオロギー国家、ナチスドイツであった。ヒトラーの教義によれば東部戦線の敵たるスラブ人種はユダヤ人同様ボルシェビズムの元凶で、かつ将来的に絶滅されるべき劣等人種であるから、女だろうが子供だろうがこれを庇いたてるドイツ人はナチスにとって世界観的敵なのである。 ゴルゲット(リンククラーケン)を付けた残忍な野戦憲兵によるロシア人捕虜虐殺や、兵隊使い捨て野戦病院の運営を軍上層部へ抗議した少尉は小隊ごと懲罰部隊(!)に編入。まともな食料も与えられず、まるで浮浪者のような風貌で地雷除去に従事させられる。一般兵から将校としてのプライドをズタズタにされるような屈辱を受ける。クリスマスの日、貧相なパンを家畜に給餌するかの如く投げ与えられるのである。 前線の戦闘で奮闘を見せ、正規軍に復帰。将軍より小隊へ直々に没収された肩章が返還される。 しかしソ連軍包囲による兵站寸断と寒さで既に敗色は濃厚である。やけくそになったドイツ軍はスターリングラード周辺の村落を焼き討ち略奪、男性住民たちは例によって訳の分からない罪名の下に虐殺される。少尉の小隊も野戦憲兵隊から住民の射殺を命令される。住民の中にはかつて小隊が匿っていた少年も含まれていた。しかし拒否すれば自分も射殺との脅迫に屈し嫌々射殺。 射殺を命令したナチらしい残忍なメガネ面憲兵大尉の風貌がまるで東洋人の様な容貌の中年男なのは皮肉だろう。金髪碧眼のアーリア人種を理想の人種と規定し、スラブ人種はサルやアジア人に近く、原始的で人種的に劣っているというのがナチスの主張なのだが、実際にはロシア人の方がドイツ人よりも金髪碧眼の割合が遥かに高いのだ。エセ科学もいいところである。 毎度お決まりの親衛隊員ではなく国防軍野戦憲兵将校が悪役というのも良い。ナチスやスターリン・ソ連の様な世界征服のイデオロギーを掲げる全体主義国家においてはどのみち近い将来絶滅が予定されている外国軍と戦闘する軍隊組織よりも、内部の敵を撲滅する警察組織が常に上位に立つ。そのヒエラルキーは軍隊組織内にあってすら同様であり元々警察組織たる親衛隊から派生した軍隊である武装親衛隊ですら、国防軍野戦憲兵隊のテロ支配下に置かれたのである。当然にして戦地におけるユダヤ人大量虐殺にも深く加担。 何もかもに嫌気がさした少尉と部下達は戦死体から盗んだ診断票を使ってドイツへ帰還しようと試みるが、飛行機搭乗寸前に爆撃を受け結局スターリングラード逃亡失敗。これは地上包囲され制空権を奪われたドイツ最後の帰還飛行機であった。 その後合流した小隊は指揮官の足が凍傷で壊死しており戦闘能力もない。 逃亡兵狩りをしていると称する以前住民虐殺を命令した悪役のメガネ面の憲兵大尉と出会い、返り討ちにして射殺。精神的にも肉体的にも崩れていく主人公の少尉と配下の小隊兵士を延々と見せつけるこの映画で唯一の明るい(?)シーンなのだが、高位の憲兵将校が副官も手勢も連れずに一人で戦場をうろうろ徘徊している時点で末期である。 メガネ面憲兵大尉が命乞いで語った軍の食料を隠匿した民家へ小隊は到着。そこには大量の食糧に加えて、ベットに束縛された女性ロシア人兵士がいた。捕獲監禁されドイツ軍の性奴隷にされていたのである。階級順に強姦するという話になるが、2人きりになった少尉は縄を切り女性を解放。しかしヒトラー以上に狂信的なスターリンによれば生きて捕虜になったソ連兵は祖国の裏切り者であり帰還しても処刑されるしかない。自暴自棄の女性は強姦して射殺してくれと叫ぶ。少尉は人は戦闘で殺し疲れたし、そんなに死にたいのであれば自殺してくれと言い拳銃を女性に手渡す。結局引き金を引く事ができない女性に対して、自分も同じだと告白する。 軍人貴族の家系に生を受けた少尉は19世紀風の古めかしいヨーロッパ騎士道精神と祖国と軍への忠誠を叩きこまれ忠実に実行している。しかし犯罪国家同士の絶滅戦争たる東部戦線において、祖国ドイツと軍は市民や捕虜を無差別虐殺し、抗議する自分を先輩将校達は懲罰部隊で辱め、戦局はドツボ、おまけに騎士道の世界観では最も大切に守る対象であるべき女性を自軍が束縛監禁して強姦しまくっていた現場を見せつけられた時点で彼の全ては崩壊してしまったのだろう。部下に指一本彼女には触れるなと最後の命令を下して、足の腐った狂信的な指揮官と怒鳴り合い、ハイルヒトラーと遺言して銃で自殺。足の腐った指揮官は前線へ戻ると称して外に出るも、将軍たちが投降する中、いきだおれて死亡。女性と部下2人は一緒に逃亡するも女性はソ連軍に射殺。2人は凍てつくスターリングラードで抱き合いながら凍死して終了。 冷酷で陰惨で絶望的な愛の死の結末であり、これこそがドイツ映画が表現を得意とするトーテストリーブに見える。 スターリングラード戦においてソ連軍に包囲されたドイツ第六軍将兵30.6万人の内、ドイツ空軍によって救助された傷病者2.6万人、シベリヤ抑留帰還捕虜6千人、残り90%は死亡という皆殺しの絶滅戦争であった。対する勝者、ソ連軍戦死者は敗者ドイツを凌ぐ48万人。内1.3万人はソ連国防人民委員令第227号に基づき内務人民委員部(NKVD)督戦隊によって銃殺された刑死者である・・・・合掌。 #
by kschinkel
| 2020-06-16 16:26
| 映画
2019年 10月 02日
スウェーデンに代表される北欧諸国はナチスのユダヤ人絶滅政策を公然と拒否するなど、人権意識の高いイメージがある。しかしこの映画で描かれる国家や社会によるサーミ人差別は陰湿かつ冷酷そのもの。ドイツや日本の様な人権問題で悪名高い国と何ら変わることは無い。 なぜこんな事になったのだろうか? スウェーデン・北欧の福祉政策と人種差別政策は必ずしも相反する概念ではない。福祉国家は国民を相互扶助すべき民族共同体と見なす。よって共同体に不適格な分子は排除されなくてはならないのである。1929年ヨーロッパ初の断種法を制定したのは社会民主党政権下のデンマークであった。そして直ちにスウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドが続いたのである。ナチスが敗北し、1970年代になってもスウェーデンでは障害者やジプシーに対する断種手術は延々と続けられた。これを世界に告発したのはポーランド系ユダヤ人ジャーナリストであった。ナチスの安楽死医師の多くが、世界最高水準の福祉施設を誇った戦前のドイツ医学教育を受けていた。カネが全てを支配する弱肉強食のアングロサクソン資本主義国家よりも、福祉先進国である北欧・中欧で優生学の犯罪がより顕著であるのは皮肉な話である。 映画は主人公の妹の葬儀で始まる。元教師の彼女は息子と孫に対して「嘘つき」「泥棒」などと言い、親族のサーミ人に対する憎悪と軽蔑を露わにする。彼女はスウェーデン民族に同化したサーミ人であった。被差別集団から差別集団へ苦労を重ねて同化した人間は、しばしば出自の集団に対する差別的意識を強烈に示す傾向がある。西欧同化ユダヤ人に対する東欧ユダヤ人、ゲルマン化したスラブ人に対するスラブ人、アメリカ黒人に対するアフリカ黒人、這い上がった成金に対する貧困層、転向者に対する共産主義者・・・・・近親憎悪のループは無限に続く。 子供時代の主人公に決定的な影響を与えるのは知的で美しいが冷酷非情なサドの女教師であった。主人公の聡明さを見抜いた女教師は主人公にスウェーデン語の詩集を与え学問に対する関心を芽生えさせる。 ある日サーミ人学校へウプサラ州立人種遺伝学研究所から医学者達がやって来る。サーミ人の児童が頭蓋骨の大きさや髪の色を検査されるのである。 今日ナチスドイツの専売特許の様に誤解される人種遺伝学や優生学は、実際には当時欧米社会において真っ当な科学として普及していたことを示している。金髪碧眼のサーミ人とスウェーデン人、生物学的に一体そこまで違うのか訳が分からないのだが。身長が低くやや彫りが浅い程度である。この場合科学は政治が望む結論を導き出す為の道具に過ぎない。その結論はサーミ人は劣等人種であり隔離しなくてはならないというものである。 無理やり全裸にされた子供たちは、近所の憎たらしい糞ガキが覗き見る中、まるで珍しい動物の様に一人ひとり列を並ばされて写真を撮影される。ナチス映画を見慣れた人間が見ても虫唾が走るシーンで、ここまで行きついてしまうと絶滅収容所のガス室まであともう一歩である。ゲルマン民族は極端でマニアックというのか、アスペルガー症候群の患者の様に何でもかんでも徹底的にやりすぎる。気候の寒さと暗さで頭がおかしくなってしまったのだろうか? サーミ人であることに決定的に嫌気がさした主人公はウプサラの高校へ進学したいと女教師に直言する。それに対する回答はサーミ人の脳は文明に適応できず進学は不可能というものであった。 彼女は遂に止める妹を振り払い悪夢の様な学校と故郷から脱走。盗んだ服に着替えて、忌まわしい民族衣装を焼き払い、パーティーで知り合ったスウェーデン人少年のウプサラの家に転がり込む。サーミ人であることを隠すために彼女が使った偽名はあの女教師の名前であった。虐待され差別されてもなお、冷酷な女教師は主人公にとって憧れの目標であったのである。少年と初セックスするも、両親からやはり差別され少年の家からも放り出された主人公。しかし高校へ行き入校許可を得ることに成功する。生徒の集まりでは好奇の視線を浴びせられながら民族音楽ヨイクを歌わされ泣いたりもするが、高校生活に適応する。しかし月謝の金が無く仕方なく一旦帰郷。渋る両親を説得して高価な貴金属のベルトをもらう所で回想シーンは終了。 かつて焼き払った民族衣装を着た妹の棺の前で謝罪の涙を流し、故郷の集落を訪れる。そこには半世紀以上前の子供時代から不変の自然とテント生活の姿があった- こうした他民族に対する差別と同化は他人事ではない。近代日本はスウェーデン同様、琉球人、アイヌ人、台湾人そして朝鮮人に対して差別と同化政策を強いた。帝国最大の少数民族は朝鮮人であった。散々差別した挙句、1940年代「八紘一宇」「内鮮一体」の名のもと2500万人もの朝鮮民族全員を強制的に同化させようとした。今日賠償がどうとか騒ぎになっているが、彼らにとってこれはカネの問題ではない。一人当たりGDPで韓国が日本と並んだ時、遂に彼らは屈辱的な過去を虐げられた人間特有の歪んだ形で告発し始めたのだ。 支配民族から敵としてすら扱われず、劣等民族として差別・否定され、最期には民族の存在と過去すら抹消された痛みと悲しみと恐怖は永遠に消えない。それがどれほどの犯罪であることをリアルに描いた佳作。 #
by kschinkel
| 2019-10-02 14:46
| 映画
2019年 07月 16日
ウィーン大学精神科教室の准教授、ハンス・アスペルガーは集団社会に馴染みにくい人間の特徴を観察し、1944年世界で最初に発達障害を定義した画期的な論文を発表した。「自閉的精神病質者(autistischen psychopathen)」として。彼は次の様に書いた 「自閉的精神病質者は自分自身だけである。より大きな有機的組織の積極的な一員にはなれず、その組織に影響を受けることも与えることもできない。」 1944年ナチス第三帝国末期のことである。 彼はこの年軍医としてドイツ国防軍歩兵連隊に配属される。戦場はあの悪名高いクロアチアのパルチザン掃討戦であった。 この言葉と経歴を聞いただけで不吉な感じがするが・・・・ 1981年イギリス人精神科医ローナ・ウイングが1944年アスペルガー論文に注目し、彼の名前を冠した病名を発表するまで、彼は知られていなかった無名の孤高の医師だったのだろうか? いや彼はナチスドイツ精神医学会において、地位の低い孤立した医師では決してなかった。彼は1941年末恩師ハンブルガー教授や大学同輩イエッケリウス、ウィーン市公衆衛生局局長グンデルと共に4人でウィーン教育治療協会を設立している。この団体は学校教師、特別支援学級の教師、児童精神科医、民生委員、行政機関、そして精神病院のスタッフを一元化する役割を持つ機関である。今日我々の目には有益な福祉機関に映るが、1941年のドイツ第三帝国においてこれは恐ろしい意味を持っていた。ナチス・ドイツの精神病院には治療不可能とされた患者を殺害する権限と機能があった。そして学校教師は遺伝的に劣等と見られる子供たちを当局に通報する義務があったのである。つまり精神障害の疑われる児童は学校、福祉施設を経て、精神病院に移送され、国家社会主義共同体に不適格と診断された児童は精神病院で虐殺されるのである。 この4人のうちマックス・グンデルはウィーンにおける医療・福祉・民族衛生政策の頂点にいた男である。彼は何千もの人々の逮捕監禁、民族衛生政策の観点からユダヤ人強制収容所移送の推進、ウィーンの精神障害児童殺害施設シュピーゲルグルント設立を主導していた。 アスペルガーのウィーン大学医学部同期で5年間大学病院の部下でもあったエルヴィン・イエッケリウスはT4作戦のウィーン地区責任者であり、約4000人の精神障害者の殺害を指揮した。この中には100人の児童も含まれていた。 アスペルガーの恩師フランツ・ハンブルガー教授はナチス台頭によって世界的に名声の高いウィーン大学小児病院院長の座を射止めた狂信的ナチ党員である。彼は大学からユダヤ系医学者を追放。ナチス優生学を積極的に支持し、2名のT4作戦医師を育てた。更に回復不能とされた精神病院の子供たちを結核菌あるいは飢餓実験によって殺害する人体実験の指揮を行っている。この男の門下生は戦後、アスペルガー以外全員教授号をはく奪された。 この邪悪な三人と共に恐ろしい組織を創設したアスペルガーがナチスの犯罪と無縁であることはあり得ないのである。彼はマックス・グンデル率いるウィーン市公衆衛生局の専門医であった。一見無害なこの職務の内容は、ウィーン市民の遺伝情報、障害の有無を登録することにあった。それに続くのは当然にして、システマチックな絶滅であっただろう。1944年までにウィーン市民の1/4に相当する76万人分のデータベースが構築されていた。この内1万2千人が「障害者児童」、4万人(!)が「反社会的家庭出身精神病質の児童」に分類された。70人に上るスタッフのうち、彼はこのカテゴリーの責任者であったと思われる。 彼はウィーン大学小児病院治療教育診療所所長として9人、市の専門医として少なくとも35人の精神障害児童を安楽死施設シュピーゲルグルントへ選別・送致した。記録に残っている数だけなので、実際には遥かに多いと思われる。 シュピーゲルグルントの前身は1907年にウィーン14区に設立されたシュタインホーフ精神病院である。世紀末ウィーンが産んだ偉大な建築家、オットー・ワーグナーによって設計されたこの州立病院は、最先端のウィーン精神医学と新しい芸術運動ユーゲントシュティール、ハプスブルク帝室のカトリシズムと20世紀の社会福祉思想が産んだ当時世界最高峰の精神病院であった。中央に建造された病院付属カトリック教会シュタインホーフ教会は、皇太子フランツ・フェルディナンド大公が落成式典に出席。今日ユーゲントシュティール建築の最高傑作としてウィーンの観光名所になっている。 ナチスドイツの併合によりこの栄光ある病院は大量虐殺施設に変貌した。ウィーン行政の先進的な福祉・医療システムは新しい殺戮システムに完全に適応した。ナチスの大量虐殺は、20世紀初頭飛躍的に発展した近代精神医療や福祉政策と表裏一体であった。精神障害者を行政機関が保護し、医学的に分類し、診断し、カルテに記録し、病院へ収容する。その患者を治療するか殺すかの違いでしかなかった。1940年夏、T4作戦により病院入院患者の75%に相当する3200名の患者が安楽死施設ハルトハイムへ移送されガス室で殺害された。その空き病棟に同年設立されたのが「シュピーゲルグルント児童養護施設」である。 収容された精神障害者児童はナチス民族共同体に同化可能かそうでないかで診断・選別される。そして安楽死の候補者は第十七号棟へ収容された。そこでは2-3週間に一度、更に医師の最期の選別が行われる。当時の患者の回想によれば医師が 「「おまえとおまえ、おまえ、おまえ」といいながら何人かを指さす。その子たちは連れていかれる。まず選ばれるのは寝小便をする子、口蓋裂の子、頭の回転の遅い子だった・・・その子たちには二度と会うことは無かった」 彼らは隣の第十五棟へ移送され、モルヒネとバルビツール酸、スコポラミンで薬殺された。死亡時間は投与後、数時間から数日。死因は肺炎と遺族に通知された。遺体からは脳が採取、液浸標本にされ、1980年代まで医学研究標本として使用された。犠牲者は789名以上に及んだ。 彼の発達障害に関する見解もナチス体制と高い関係性を示していた。ナチス体制以前の1937年の講演パンフレットで彼はまだ 「人格が異なれば、児童育成のアプローチも異なる。診断に固定的な基準を設けることはできない」 と述べていた。恐らくその後のあの恐ろしい体制が彼を変えた。 オーストリアがナチス・ドイツと併合した1938年、彼はこう断言した。 「このはっきりとした特徴を示す児童を、我々は自閉的精神病質者と命名する。自己を閉じ込めることで、環境の関わりを限定してるからだ。」 この精神病質「psychopath(スィフィオパートゥ)」というドイツ語は、英語の「サイコパス」であり反社会的という意味が強く含まれている。 以降彼はますます狂気の体制に適応し、評価され、組み込まれていった。そして大戦末期1944年、以下の結論に達した。 あの1944年論文で発達障害をはっきりと定義したこと、それは「より大きな有機的組織」つまりナチス民族共同体に適格か不適格かを分類するために必要な指標であることを示しているのである。 彼は子供たちをナチス民族共同体にとって不適格か適格かを選別する立場にあった。彼は不適格とされた子供たちがどの様な運命に合うかも知っていた。 しかし一方で次の様にも述べていた。 「社会共同体の有機体の中にも、自閉的な人間にふさわしい場所がある」 「彼らはきちんと自分の役割を果たせる。場合によってはほかの人より優れた結果を出せるかもしれない」 「医師には全身全霊をかけて、これら子供たちに代わって声を上げる権利と義務がある。ひたむきに愛情を捧げる教育者だけが、困難を抱える人間に成功をもたらすことができる」 これはナチス・ドイツ併合以前のウィーンで精神医学教育を受けたカトリック医師の最後の良心の叫びだったのだろうか? ナチス体制崩壊後、彼が発達障害について研究発表を行うことは全くなかった- 社会に馴染みにくく、自己の世界に閉じこもる発達障害者。これを定義した医師を生んだ体制が全体主義国家であったことは歴史の必然と言えるだろう。なぜならナチスのイデオロギーと発達障害者の自閉的特性は完全に相容れないからである。 近年アスペルガー症候群の診断名は精神医学界ではほぼ消滅した。自閉症スペクトラムと呼ばれる診断基準に内包された。1981年アスペルガー症候群再発見以降その範疇は拡大していった。当然である。スペクトラムである以上、アスペルガーと彼が属した体制が必要とした健常者との明白な境界線など存在しないのだから。 工業的大量虐殺の原点ともいえるナチス精神医学では目立たないが、自身と指導者の闇をも照らし出すきっかけを作った医師の戦慄の伝記。 細部や時代背景がかなり丁寧に記述されているので、ナチスが目指した人種社会が如何にして実際に構築、実現されたかを知るにも役に立つ佳作。 #
by kschinkel
| 2019-07-16 20:45
| 読書
2019年 03月 04日
自身が脱走兵でありながら空軍大尉の制服を手に入れて着用し、敗残兵を指揮下に収め、彼らと共に主に脱走兵の囚人から成るSA(突撃隊)傘下のエムスラント強制収容所アッシェンドルファーモア支所の脱獄囚約100名を即決殺害、さらに同じくドイツ北西ニーダーザクセンの美しい小都市レーアでヘロルト野戦即決裁判所なるテロ組織を設立し住民を虐殺した「エムスラントの処刑人」、ヴィリー・ヘロルトを描いた映画。 まるで伝説的な詐欺師ケーペニックの大尉の様だが、これは実話である。数十年の平和が続いた帝政ドイツ時代のケーペニックの大尉は単なる金銭目的の詐欺強盗犯であった。しかしヘロルト偽大尉の犯罪は強制収容所囚人の虐殺と都市のテロ支配であって、これぞ全体主義国家ナチス・ドイツの時代精神の結晶というべきか。 大戦末期、ドイツ空軍の脱走兵、ヘロルト上等兵が陸軍野戦憲兵督戦隊から執拗に追跡されるシーンからこの映画は始まる。60年に渡る徹底した皇民化教育が成功していた日本軍では、敗戦直前であっても脱走兵などは殆ど出ず、秩序に従順に服従し餓死、自殺、玉砕というのが通例であった。一方のドイツ・ソ連では狂気の軍律と皆殺しの戦場の元で脱走兵が後を絶たず、冷酷残忍なヒトラーとスターリンは督戦隊を組織し徹底したテロルで売国奴の裏切り者脱走兵を処刑したのである。鉄の規律と粛清のテロ支配こそがナチス軍組織の一貫した特徴であり、この原則が映画全体の背景とヘロルト偽大尉の行動を規定する。 督戦隊を振り切ったヘロルト上等兵は軍用車内に放置された空軍大尉の軍服を拾って着用し鼻歌を歌う。それはナチス政権樹立直前、1931年のオペレッタ映画、「会議は踊る」のテーマソング『唯一度だけ/ Das gibt's nur einmal』である。この映画はウィーン会議に出席したロシア皇帝に見それられた、下町の手袋屋娘の束の間の身分違いの恋を描いている。ヘロルトは下町の手袋屋娘からロシア皇帝の恋人に成上った映画の主人公同様、脱走上等兵としての惨めな境遇から高級将校への階級上昇のチャンスを掴んだ事を鼻歌で暗示している。そして映画ラスト部分で束の間の彼のグロテスクな夢を実現するのである。 国境線の流浪のヘロルト偽大尉は道中で口八丁手八丁で敗残兵を次々に従え、怪しげな部隊「ヘロルト特殊部隊」を組織する。彼らはヒトラー総統の特使として、銃後の調査監視を執行していると称し、エムスラント強制収容所アッシェンドルファーモア支所へ入り込む。そこは脱走兵の囚人から成るSA(突撃隊)の強制収容所であった。2人の収容所幹部がヘロルトを迎える。一人はポーランドで任務(恐らく大量虐殺・・・)に当たっていたという残忍な野戦憲兵将校(多分冒頭のヘロルトを追いかけ回していた督戦隊隊長だが、ヘロルトの顔をよく覚えていない)、一人は凶暴そうな突撃隊将校である。彼らは収容所支所長の陸軍法務官の脱走兵への順法的な手ぬるい待遇に対していらいらしているのである。ヘロルトは2人にヒトラー総統の特使として脱走兵への断固たる処理(つまり処刑・・・・)を約束する。 突撃隊将校はヘロルトを担ぎ上げ、邪魔な支所長に対し権力闘争を挑む。ヘロルトがその根拠としたのは具体的な命令文書でも誰それ司令官からの指令でもなく(偽大尉にその様なものは最初から存在しないが)、総統特使としての「総統の意志」の執行であった。突撃隊将校は同じナチ党員のガウライター(ナチ党地区指導者)へ電話をかけ、ガウライターは陸軍司法部に圧力をかけ、ヘロルトの強制収容所の全権委任に成功する。 このシーンは独裁国家ナチスドイツの異常な権力構造をよく表している。つまり国家組織や司法や位階秩序は存在するが、それらはナチス党首ドイツ帝国総統アードルフ・ヒトラーの意志を執行するためのみに存在するのである。ヘロルトはヒトラー総統の特使であり、イデオロギー上も総統の意志を反映していると党組織や陸軍組織が判断された場合、陸軍司法部であろうとその権限は停止されるのである。 この最も悪名高い例は親衛隊長ヒムラーがヒトラーに無断でユダヤ人移送停止命令を下した1944年になって、親衛隊の一中佐に過ぎないアイヒマンがヒムラーの命令に反して40万人のハンガリーユダヤ人を移送した一件である。この場合親衛隊全国指導者ヒムラーではなく中佐アイヒマンの命令こそが総統の意志を体現していたことは、誰の目にも明らかであった。従ってヒムラーの頭越しに移送は速やかに諸機関によって執行され、アイヒマンは何の処分もされなかった。 この映画においてヘロルトの空軍大尉の他に陸軍野戦憲兵だの突撃隊だの陸軍法務官だの異なる制服の将校達と組織が入り乱れることに混乱される方も多いだろう。この組織系統の混在は最も優れた組織が総統の意志を実行するというヒトラーの意図のもとに、あえて分立された競合組織構成からくるものである。ナチスが内部の意思決定が分裂していたという訳では全然ない。逆に分立した組織の競合によって、ヒトラーの意志はより過激で純粋な形で執行されたのである。 (こうしたナチス政治組織の分析はハンナアーレントの全体主義の起源3に詳しい) ヘロルトの場合、総統の意志とは脱走兵囚人の如き売国奴の裏切り者には司法の手続などを与えず全員処刑を、であろう。司法にこだわる支所長ではなく、彼こそが脱走兵の処遇を決定するにふさわしいことは明らかであった。こうしてヘロルトは強制収容所の独裁者となった。 ヘロルトと彼の部下、突撃隊員将校は直ちに脱走兵囚人の即決裁判・処刑を開始する。処刑方法は囚人自身に大きな穴を掘らせて囚人を穴で銃殺し、石灰をぶっかけて穴を埋め戻すという、アインザッツグルッペンによるユダヤ人大量虐殺で毎度おなじみの方法である。独創的なのが単なる射殺ではなく対空砲を使って体をミンチの様に吹き飛ばすという誠に画期的な方法で、これは偽空軍大尉ヘロルトの拘りだろうか。70年ぶりに北朝鮮が同じ方法で高官の公開処刑を行ったらしいが、このシーンは史実らしい・・・・ ヘロルトを担ぎ上げた突撃隊将校の演技もなかなか良い。乱暴なサディストで殺人をやりたくて仕方がない様子、古参党員にありがちな生まれつきの犯罪者といった感じがよく出ている。しかもヘロルトや党の方針には絶対服従という狂信的なナチである。歳が若い割にWWIの二級鉄十字章リボンを付けているのは考証ミスだと思うが・・・・あまり詳しくないが、しかし全般に軍装は極めて厳密に考証されているように見える。 SS(親衛隊)ではなくSA(突撃隊)が運営する強制収容所というのもなかなか珍しい。これはエムスラント強制収容所が1933年という初期の創立であり、かつ国境周辺の国防軍脱走兵収容所であることに由来するのだろう。長いナイフの夜以降の突撃隊は銃後の国防軍補助が主な任務であったからである。 ヘロルトとその部下たちは散々強制収容所で囚人をぶっ殺して、飲んだくれるものの、イギリス軍の空爆で強制収容所は全壊。 血に飢えた「ヘロルト野戦即決裁判所部隊」は次の活躍の場所を求めて移動。連合軍侵攻を見越して英語で「WELCOME(歓迎)」などというふざけた横断幕と白旗を掲げた、敗北主義の裏切り者の国境の街を発見する。 ヘロルト達は裏切り者の市長を直ちに処刑(これは史実と異なる)。野戦即決裁判所を街の高級ホテルに設置し、街と市民をテロ戒厳支配下に置いた。単なる脱走兵に過ぎなかったヘロルトは、拾った空軍大尉の軍服一着と総統の特使という偽りの肩書によって、遂に都市を支配する独裁者となったのである。 街の美女達や部下たちとどんちゃん騒ぎをしながら歌ったのは、あの冒頭に登場する「会議は踊る」の『唯一度だけ/ Das gibt's nur einmal』(リンク先youtube これは世界最初のミュージカル映画作品である)である。 Das gibt's nur einmal, das kommt nicht wieder, das ist zu schön um wahr zu sein. この世に生まれてただ一度、この素晴らしき まさに夢 So wie ein Wunder fällt auf uns nieder vom Paradies ein gold'ner Schein. 奇跡のように降り注ぐ、まばゆい黄金の光 Das gibt's nur einmal, das kommt nicht wieder, das ist vielleicht nur Träumerei. この世に生まれてただ一度、きっとこれは夢 まぼろし Das kann das Leben nur einmal geben, vielleicht ist's morgen schon vorbei. 人の一生にただ一度、二度とかえらぬ美しい思い出 Das kann das Leben nur einmal geben, denn jeder Frühling hat nur einen Mai. 人の一生にただ一度、春に五月は一度だけだから この世に生まれてただ一度だけのヘロルトの1945年春の夢は、儚くも崩壊した。 ヘロルトは陸軍憲兵隊によって逮捕拘束。軍法会議によって処刑されるかに見えたが意外な陪審員によって彼は救われる。ヘロルトに騙されたはずのあの陸軍野戦憲兵将校である。身分を偽ったのは犯罪だが、彼の思想と偽大尉としてのふるまいや行為は正しかったというのである。ナチス国防軍将校らしい、ぶれの無い狂いっぷりである。こうして罪一等減じられたヘロルトはベルリン市街戦へ懲罰徴兵を命じられるも、再度脱走。 1946年イギリス軍によって処刑されたというクレジットで終了。 ヘロルトの詐欺演技が超人的すぎるのと、ガラの悪いどんちゃん騒ぎの描写がしつこすぎる割に、虐殺や街のテロ支配というお楽しみ映像が短いのが鼻についた。加えてナチスドイツ権力構造と狂気の思考回路を知らないと、ただのサイコパス詐欺師が権力と殺人をエンジョイしているように見える映画である。 ナチスにとってヘロルトの犯罪は脱走兵を冷酷に殺害したり、街を恐怖で支配したことではなく、単に身分を偽っただけ。つまりヘロルトの行為は基本的にナチスドイツ将校の理想のあるべき姿なのである。「エムスラントの処刑人」にはそれを演じるだけの洞察力や勇気があった。それが一体どれほど多くの人々に対して最悪の結果をもたらしていたとしても。 ドイツ映画らしい濃厚で絶望的な作品。真っ黒にどす黒いナチス式「ケーペニックの大尉」+「会議は踊る」といったところか。 ロケ地はシュレージエン(現 ポーランド)のブレスラウとゲルリッツで撮影されたとのこと。軍装や建造物の様式美も素晴らしい。 久々の本格派ナチス映画。 #
by kschinkel
| 2019-03-04 18:56
| 映画
2019年 01月 24日
(※以下の記事はネタバレ情報が含まれています。) ネットでも結構評価の高かった映画。 老人ホームの同じ棟のユダヤ人が、ユダヤ人に成りすました元アウシュヴィッツの親衛隊区画責任者に同士討ちさせて復讐を果たす内容。 この偽ユダヤ人老人はボケていて自分も家族を殺された被害者であると勘違いしており、同じ棟のユダヤ人の手紙と電話の指示に従って同姓同名の4人の中から一人の戦犯を探し復讐する放浪の旅にでる。一人目はロンメル将軍のアフリカ部隊隊員で無関係。もう一人は同性愛の罪で拘束されていた元アウシュヴィッツ被収容者、三番目も人違いですでに死んでおり息子がナチスマニアの右翼警官であったが、「ユダヤ人」であることがバレてジャーマンシェパードをけしかけられ正当防衛で射殺、4人目遂にアウシュヴィッツのナチを発見するも、実は自分は被収容者ではなく同僚のナチであったことを告げられナチを射殺後ボケた偽ユダヤ人も自殺。老人ホームのユダヤ人は復讐を遂げてめでたしめでたしという内容である。 これはナチス映画というより、サスペンスの中にそういう要素を取り入れたと見た方が良い。 まずアウシュヴィッツの区画責任者Blockführerといえば伍長(兵の一つ上の最下級下士官)級であり、カポに指示を出したりする係で、2-300人が入るバラック一棟を管理し、アウシュヴィッツだけでも最低数百人はいたであろう収容所の下っ端職員。被収容者から直接恨みを買われることは多かっただろうが、映画にあるようなジーモンウィゼンタールセンターがわざわざ詳しく追跡する様な大物ではない。この末端層は余りにも多く、よっぽど目立つサディストでもない限り、普通にドイツで日常生活を過ごしても殆どお咎めなしであっただろう。(近年は生存者数が減り、末端層も起訴されるようになったらしいが。)実際の逃亡ナチスのアイヒマンやシュタングルとは責任も階級も違いすぎる。戦後西ドイツの裁判所は、当時の法曹界の大部分が「司法に於ける装甲突撃隊」ティーラック・フライスラー体制下の元ナチであっただけに対ナチ刑罰も軽微で、ポーランド・ロッチ(旧リッツマンシュタット)において一万人以上の市民を大量虐殺した極めつけのワル中佐ですらたったの5年で釈放される有様であった。従って下っぱ職員が被収容者偽装の入れ墨までしてアメリカ亡命する必要性が全くない。 アメリカでユダヤ人に扮してユダヤ女性ルースと結婚しユダヤ人として生きるというのも無駄に難易度が高い。職場でちょっとユダヤ系であることを名前で仄めかすのとは訳が違う。特殊な文化宗教を持つ少数民族ドイツ系ユダヤ人を偽装して、本物のユダヤ人とバレずに結婚生活するなど恐らく俳優でも無理。例えば自分の先祖は東プロイセンからベルリン・オラニエンブルガー通りへ移った古着行商人の家系で、宗派は改革派で、安息日のうちの母の手作りチョレントが絶品で・・・などとデタラメな身の上話を妻や妻の親戚にしたらボロが出るに決まっている。しかも夫婦が結婚したニューヨークはアウシュヴィッツサバイバーがうようよいる世界屈指のユダヤ人集積都市である。収容所の下っ端職員で直接被収容者と接する機会が多かった男が、身元がバレる確率は、ドイツと比べて1000倍跳ね上がるであろう。従ってユダヤ人と偽ってアメリカに亡命する意味が破綻している。 そもそも大物極悪ナチ戦犯が大挙して南米を逃亡先に選んだのは、西ドイツと国交が微妙な移民国かつ親ナチ独裁政権であったからである。一方北米で摘発された少数のナチ戦犯はウクライナ親衛隊員の様なアメリカの敵国、旧共産圏出身者であり、多くがアメリカ政府が市民権を剥奪して祖国に引き渡そうとしても祖国から拒否される始末・・・戦犯逃亡がどうこうというより単に旧ソ連体制からの白色亡命者の一部にたまたま対独協力者が少し混じっていたに過ぎないように見える。 この偽ユダヤ人伍長がやたらピアノが上手いのも設定が狂っている感じがする。なんぼ音楽大国ドイツとはいえ階級格差著しい戦前に、ピアノなど貴族かブルジョワかインテリの家庭でしか習わせないだろう。こうした卑しからぬ階級と教養的背景を持つ男が、学歴社会のSSで汚れ役の強制収容所伍長程度に収まる確率は極めて低い・・・・将校クラスの大量虐殺者ならあり得ただろうが・・・・ 陳腐な突っ込みを長々入れてしまったが、そんなことはこの映画脚本家は多分分かっているのである。直接暴力を振るう立場にある下っ端職員でないと個人的な強い復讐心は起きえないし、アメリカに偽ユダヤ人として逃亡しないと話は始まらないし、偽ユダヤ人がユダヤ人コミュニティーと密につながらなくては2人が出合いようがないし、偽ユダヤ人が自分自身もアウシュヴィッツに収容されていたと錯覚しない。クラシック・ピアノは偽ユダヤ人の真の正体をほのめかす鍵になっているから、場末のキャバレーでカバレット・リートをがなり立てる様な労働者階級出身者では困るのである。 という訳でこの映画は雑念を振り払いネタバレ禁止のどんでん返しサスペンスとしてみるのが正解である。 個人的には正当防衛で偽ユダヤ人に撃ち殺された右翼警官の演技が良かった。アメリカやカナダの田舎にはああいう変態右翼がいかにもいそうな感じがする。一見まともだが、ドイツの老人と聞くとニヤニヤしながらナチス・コレクションをキモいうんちく垂れながら見せびらかし、アウシュビッツにいたことが分かると狂喜して昔話を聞きたがり、「ユダヤ人」と分かって支離滅裂にブチ切れる変態な感じがすごくいい。ボケた元ナチに右翼が射殺されるのが皮肉が効いている。 家の貧相さと比べてナチス・コレクションが豪華すぎるが。アルゲマイネSSの黒服制服など無理からぬ理由でほとんど残っていない割に、欲しがるマニアが多いから多分車一台位買える値段がするはずだが、結構ぞんざいに扱っている(笑) やや設定に無理があり、あらかじめストーリーを把握してから映画を見てしまったので、変態右翼のシーン以外は少し退屈に見えてしまった。多分ネタバレなしに見るならば、円熟した俳優の演技と巧みなストーリーに引き込まれるスリルサスペンスだったはず。主人公の偽ユダヤ人役は皮肉にも若いころ「サウンドオブミュージック」で反ナチ亡命オーストリア軍人貴族フォン・トラップ少佐を演じたクリストファー・プラマー。短髪髭日焼けカジュアルで別人に見えるが、流石に優れた演技力と演奏力は健在である。 #
by kschinkel
| 2019-01-24 20:13
| 映画
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