映画「太陽の下で -真実の北朝鮮-」の感想 |
チェコ・ロシア・ドイツ・ラトビア・北朝鮮合作、北朝鮮首都平壌の特権階級(労働貴族ノーメンクラトゥーラ)
を描いたドキュメント映画。
8歳のノーメンクラトゥーラ階級少女が朝鮮少年団に入団し、スターリンの元エージェントで自称北朝鮮の建国者、金日成の誕生日である太陽節を祝う行事を準備する過程を記録する。しかし面白いのは録画スイッチを入れたまま撮影現場に放置したため北朝鮮プロパガンダの制作過程が明らかになるのである。
日本人として印象的なのは北朝鮮に拭いがたい大日本帝国の継承国家としての側面である。初っ端のラジオ体操音楽はnhkのラジオ体操の忠実な模倣であるし、歴史の授業で強調されるのは「ウィノム(日本の賤称)」と「地主ども」がいかに朝鮮人民を虐げてきたか、金日成がいかにこれら反動分子を撲滅したかを強調する。
つまり北朝鮮の共産主義的世界観にあって、原始共産制から封建制、絶対王政、資本主義、そして共産主義革命へ至る過程として重要な歴史的段階として、日本植民地支配は定義されているのである。あの学校集会、あのマスゲイム、あの退役軍人の竹槍精神演説、あのお辞儀の形式、あの統制された軍隊行進、あの国家大元帥への狂信的個人崇拝、映画で描かれるこれら多くの光景は李氏朝鮮王朝でもスターリン・ソ連でもすらなく大日本帝国から継承されたものであることは明白である。北朝鮮の正式国号「朝鮮民主主義人民共和国」のうち朝鮮を除く全ての単語は日本で生まれたものであるし、彼らの国章には水俣病で悪名高いチッソ(旧日本窒素コンツェルン)が建造した水豊水力発電ダムを公然と誇示している段階で、彼らの真の起源が判るだろう。
つまり現代の北朝鮮と日本は恐らく共通の両親を持ち、血を分けた真の兄弟国家である。趣向は異なることを信じたいが・・・・・?
これはリアル・ファーザーランドである。
街の様子で特に素晴らしいのは、無表情な大衆がうつろな表情で歩くゴミ一つ落ちていない無機質で巨大な街中をプロパガンダ街宣車が狂信的スローガンをがなり立てながらゆっくり巡回するシーンである。
多分北朝鮮政府はこの映画を通して、理想的で地上の楽園に住む北朝鮮人民の姿を世界へ政治宣伝したかったのであろう。しかし資本主義社会の市民からみてその様な世界は違和感があり恐怖でしかない。延々連なり見せつけられるマスゲームと政治集会の数々は完全に非生産的で、共産主義イデオロギープロパガンダは空虚で無内容、共産主義とセットで強調される朝鮮民族主義は一体どこのどうが本当の意味で朝鮮的なのか理解不能である。
登場人物は主人公の8歳の少女以下、栄養が行き届いており、筋肉の発達した健康的で容姿の美しい人間を要所に配置している。
一方映画では描かれないが「障害者が革命の首都平壌にいると、外国人に不快な印象を与えるから、追放せよ」との金正日の命令により1980年代には平壌からは障害者は全員強制移住済、中には毒ガスの人体実験に供され殺害された方もいるという。合掌。
理想の世界を目指す以上、人種的にも思想的にも不適格な人間以下の屑は全員撲滅されるのだ。これこそが19世紀カール・マルクスとチャールズ・ダーウィンが予期せずして萌芽を生み出し、20世紀ヨシフ・スターリンとアドルフ・ヒトラーによって完成の域に達した全体主義体制の本質である。この統制され、演出された映像を見れば、このような国家は絶対に秘密警察が支配し絶滅強制収容所が存在することを確信することができるのである。
1年に及ぶ偽りのプロパガンダ映画に出演させられた8歳の少女ソンミは不意に泣き出す。何か楽しいことを想起するよう宣伝局員に命令された少女が唱えたのは金日成を称賛する詩であった。多分生まれてからずっと洗脳教育を受けてきたこのノーメンクラトゥーラの少女は、それ以外本当に何も知らないのだろう。本当に何も・・・・・
最後巨大な金日成と金正日の銅像に花をたむける大衆と、その後彼らがたむけた花束を恐らく秘密警察関係者が金属探知機で検査後、ゴミ箱へ廃棄していくシーンで終了。何者も全員が狂信するよう扇動されるが、同時に全員が容疑者である全体主義国家の矛盾が表れている。
この様な世界最悪の狂気の犯罪国家が一日も早く崩壊することを祈りたい。